2017年4月の設立から、ここまでどんな思いで走り続けて、これからどこをめざしていくのか。
「こゆ財団」について、立ち上げのきっかけをつくった執行理事の岡本啓二(写真:右)と、唯一民間から参画した事務局長の高橋邦男(写真:左)が、ざっくばらんにお話しします。

岡本 啓二
1999年に新富町役場に入庁。農業など数々の部門を経験し、町おこし政策課長補佐を経て2017年4月から現職。三納代神楽の舞い手で、地域の子どもたちへの指導役でもある。新富町出身。41歳。

高橋 邦男
徳島大学を卒業後、徳島の出版社、大阪の編集プロダクションで編集者としてキャリアを重ね、2014年にUターン。ローカルメディアの編集に携わり、2017年6月から現職。宮崎市出身。41歳。

地域課題をビジネスで解決し、劇的な変化を生む、さながらベンチャー企業

こゆ朝市


ーあらためて、こゆ財団ってどういう団体ですか?

高橋 “財団” という響きから、みなさんが持たれる印象って、ちょっと固かったり、行政寄りやったりするじゃないですか。僕は外部の人に「どんな組織なんですか?」と聞かれたら、「さながらベンチャー企業です」とよく言っています。スピード感だったり、新しいことに貪欲に取り込んだり、新事業を少人数でどんどん形にしていくというのは、まさにベンチャーだなと思っています。

岡本 こゆ財団の説明って難しいよね。役場から飛び出した組織なので、今やっていること以上に、“行政じゃない” ことをしないと、なかなか街の人には理解してもらえないなと。僕は、国や県からお金を与えられることに慣れてしまった役場に危機感を感じて、地域の課題をビジネスで解決していこうとこゆ財団を立ち上げました。地域課題の解決というのは、活気がなくなった商店街で「こゆ朝市」を始めたことも一つ。まだ始まったばかりで、すべてがこれからやね。

高橋 うん。まだまだやし、劇的な変化を出さないと、町のみなさんは変化を感じにくいと思うんです。ファーマーズマーケット(現在の「こゆ朝市」)なんて、まさに思い切った展開の一つですね。

岡本 そう、目で見て変化がわかりやすい。

楊貴妃ライチ

高橋 わかりやすさってすごく大事だなと思っていて。僕らがここまで走ってきたことでいうと、ライチのブランディングが一番わかりやすかったですね。宮崎や東京でPRイベントを行いましたが、見た目から、触った時、皮をむいた時、かじった時、食べた後まで、すべてに感動のポイントがあったんです。そんな果物が新富町でつくられているということが、これ以上の価値はないというくらいドラスティックな動きにつながった。“新富町=ライチ” のようなわかりやすい構図をいかにつくって見せていけるかというのは、やっぱりポイントやろね。

岡本 うん、そうやね。そこで言うと、僕はずっと新富町でやってきたので、町のいろんなことを知っているんです。でもその分、先入観もあって。だから自分の感覚は無視して、周りが「すごい」と言ってくれたらすごいんだなと思うようにしています。自分の感覚は信じていません(笑)。

高橋 その点、僕は2014年に大阪から戻ってきて、今も生まれ育った宮崎市に住んでいるので、新富町のことはあまり知らなくて。いまだに道に迷いますし(笑)。

岡本 でも、さっき新富町の議員さんと話してたでしょう。ああいうのを見るとうれしいんです。どんどん町の主要人物たちとつながっていて。たぶん、彼らが顔なじみの僕に言うことと、外から来ている邦男くんに言うことって違うんですよ。

高橋 そういう意味では、二人がそれぞれの引き出しで町のみなさんと関われるのは、強みかもしれないね。新富町のことに関して、啓二くんは右に出る者はいないくらい顔が聞くし、話も実行もできる。僕の中で、それを“新富力” と呼んでるんですが、啓二くんの新富力はすごいんです。それがなければ、こゆ財団は前に進みません。彼の実行力をどう活かすかというのは、僕自身のテーマだったかもしれません。

岡本 そういう話をすると、僕は邦男くんと一緒にやってきて、すごいなと思うのは、人への接し方が丁寧なんです。僕は外に出たことがなく、怖いもの知らずなので、雑なんですよ。邦男くんとやってきたことで、自分がすごく小さい人間だというのもわかったし、カスやなというのもよくわかった(笑)。一人ひとりとしっかり向き合おうと思えたのも、彼に人をリスペクトする姿勢を見せてもらえたから。そういう意味でも、こゆ財団ができたことは自分自身すごくよかったですね。

“井の中の蛙” だった役場職員が、街を変えようと外の世界に飛び出した


ーこゆ財団発足のきっかけ、そして二人の役割は?

岡本 僕は役場で認められたかったから、仕事はいっぱいして、わかりやすい成果も出してきたんです。でも街はまったく変わらないどころか、どんどん元気がなくなっていって。町を変えるためには外に出た方がいいと思って、観光協会をベースに新しいまちづくり団体を外部につくろうと提案しました。でも計画書を議会に提出したとき、「公務員しかやったことがなく、新富町から出たこともない役場職員にできるのか」という話になって。そこで2か月前にイベントで出会った地域プロデューサーの齋藤潤一くんを思い出し、相談したところ、代表理事になってくれました。それで議会も無事に通り、こゆ財団がスタートできたんです。運命を感じますね。

高橋 僕はもともと知り合いだった潤一くんから、2017年2月に「新富町に地域づくりのチームをつくろうとする動きがあるけど、興味ある?」と言われて、その場で「興味ある」と伝えたんです。その後、改めて「どうする?」と聞かれたので、「やる」と即答しました。僕は勤め人だったんですが、「地域に入って仕事がしたい」とずっと思っていたので、これ以上ないチャンスやし、すぐにでもやりたいなと。その後、啓二くんと初めて会いましたが、第一印象はすごい勢いがある人やなと思いました。役場の人なのに、アウトロー感がすごくあって(笑)。

岡本 いやいや(笑)。僕は仕事はいっぱいしてきたけど、すごくも何ともなくて。アホでカスだった僕がよく役場から外に出たなと思いますよ。潤一くんには、「啓二が外に出て、地域を変えていきたいと思っているからこそ、代表理事になった」という思いがあって。その気持ちに応えたいし、地域をどうにかしておもしろくしたい。だから、これまでやったことのない販売や営業の仕事にも挑戦しています。

高橋 仕事の分担としては、進行中の事業は僕が担当して、啓二くんはおもに新しい事業の立ち上げを進めています。でもこれから役割はどんどん変わっていくやろうし、僕らだけでやりきれない部分も出てくると思う。そこは新しい人材を迎えたいという気持ちもありますね。

岡本 うん、これからスタッフは増えていくと思うんですよ。

高橋 確実に増えますね。ここが雇用を生んでいくことが何より重要だと思う。こゆ財団が活力を帯びて、人も増えて、いろんな人材がいて、というわかりやすさや見え方って大事だなと。そういう意味では、僕ら自身が成長して雇用も生むところまでやっていく必要があるかなと思っています。

岡本 それはすごくあると思う。広島県尾道市の「ディスカバーリンクせとうち」は、地域をなんとかしようと4人で立ち上げた会社なんですが、そこからいろんな人たちと連携して、今は分社化しています。こゆ財団もそれに近いんじゃないかなと思っています。

高橋 そうあるべきじゃないかと思いますね、むしろ。こゆ財団が種火になって、いろんな事業が生まれていって、ゆるやかにつながっていく。僕らはそれを“こゆ経済圏” と呼んでいますが、そこまでいって初めて経済効果が出せるのかなと。

岡本 立ち上げや最初の仕掛けはこゆ財団がやっていくけど、実際に事業を回していくのは、独立したオーナーさんという形ですね。

高橋 そう。もちろん財団のつながりはあるけど、独立してしっかり事業を回してもらう。それは僕たちの仲間として。こゆ財団のDNAを分けていくような考え方ですね。同じ地域の未来をめざして、僕らがDNAを振りまいていく。その成果として、持続可能な地域の未来が完成するという。

岡本 ライチビールも地元の酒屋さんと組んでやっていますしね。ああいう小さな事業を大きくしていくのは、一人ではなかなか難しい。僕らみたいに背中を押す人がいないと決断できないので、こゆ財団と一緒にやった方がいいと思っていて。その積み重ねで、町を生き生きとしたものに変えていきたいですね。

圧倒的な存在になるために、とことん尖ったことをやっていく


ー2017年を振り返って、どんな一年でしたか?

高橋 「地域に特化した仕事をしたい」と思い続けてきたので、そのフィールドにようやくたどり着けたという思いがあります。グラウンドに降りた一年ですね。こゆ財団で仕事ができるようになったことは、僕にとって人生を変えるような大きな出来事でした。思いを実現できるフィールドが生まれた、その喜びだけで突っ走っている感じです。

岡本 僕は闇から光が差したというか(笑)。今年度で自分の殻を脱ぎ捨てて、新しい自分になれそうな気がしています。どんどんプライドもなくなって、自分自身変わったなと。それがすごく居心地がいいんです。

高橋 どの辺りが変わった?

岡本 人に対しての考え方ですね。もともと人や世の中をざっと見ていて、結構最悪でした(笑)。「お前とは違うんだよ」みたいな感じで、調子に乗ってたんです。今は仕事はたくさんするけど、ものすごくリラックスできていて、自分らしく生きることができているんじゃないかな。

高橋 たしかにプレッシャーはあるけど、ストレスはないですね。やりたいことができているからかな。一方、こゆ財団としては、とにかく密度が濃い一年でした。スタッフ一人ひとりの可能性や僕らが仕掛けてきた取り組み、この短期間でやってきたことすべてが、今年に活かせる資源なんですよね。それに潤一くんには、全国各地のいろんな人たちとつないでもらって、そこから生まれるエネルギーはパンパンになりつつあります。

岡本 最初の頃はスタッフ間でもいろいろあって、不満もいっぱい出ていました。それでもバラバラにならずに、とにかく走り続けて前に進めたことは、評価できると思います。スタッフのみんなには本当に感謝していて、どうすれば彼らがヒーローになれるのか、もっと生き生きとできるのか、というのをすごく考えています。

高橋 スタッフ全員、霧の中で無我夢中でやっていたのが、だんだん視界がクリアになって、少しずつ周りの景色が見えるようになってきた状況なのかも。さあ、ここからですね。


ー設立2年目の今年は、どんなことをやっていきますか?

岡本 こゆ財団として、誰も真似できないことをやりたいですね。今まで走ってきましたが、まだ既定の枠の範囲内という感じがするんです。それだけだと何も変わらないので、普通では絶対できない賛否両論あることでも、尖ってやっていきたい。周りに批判されてもいいので。そのためにも、スタッフみんなが自分がやっていることをすばらしいと思えるような、強いチームになっていきたいですね。

高橋 僕もそこは同じです。今年いろんなことをやって一番感じているのは、もっと大きな反応や波につながるようにしたかったのに、できなかったことがたくさんあるということ。一つひとつが圧倒的でないと僕らの存在意義ってないと思うんです。せっかくやるなら、その事業の概念や枠組みを変えるところから始めないと、持続可能な街づくりなんてできない。圧倒的な存在にならないと、この先はないなと思っています。

岡本 ホラでもいいから、吹きたいですね(笑)。

高橋 そのホラが「おもしろい」と言って、いろんな人が絡んでくれるようになったら、それこそホラがホラでなくなるんですよ。大ボラ吹きたいですね、本気で。

帰ってくることが当たり前になる、地元を愛せる文化をつくる


ーその先には、この町のどんな未来を描いていますか?

岡本 まちづくりに決まった形はないと思っていて、町の人たちが住みやすく、好きだと思えるような街をつくることが大事だなと。僕らの活動を見て、やってみる人が出てきて、町が変わっていくというのが理想です。そのためには僕らがもっと突き抜けて、わかりやすい形で発信していくことですね。

高橋 それともう一つ、地元を愛せるような文化がある街がいいなと思います。僕は高校卒業後、外に出ましたが、当時は「なんやこのくそおもんない田舎は」と本気で思っていました。そこで、“成長して帰ってくる” ことが当たり前になるような文化をつくれば、自然と幸せな町になれるんじゃないかと。その文化を僕らがつくって、外に出ていく若い子たちの意識を変えていきたい。だって、最高ですもん、この町。新富町はすごいですよ。僕はずっと外から見ていますが、ええ町やなと思います。

岡本 どういうところが?

高橋 町の人たちがオープンでフラットで、みなさん本当に温かい。それにライチみたいな宝物がポンとあるわけですよ。ちょうど収量が上がってきていて、僕らにとってはこれ以上ない唯一無二の武器でしたね。これがあったから、最初の半年間は走れたと思います。

岡本 まさにそうやね。ライチ農家の森さんのことは以前から知っていたんです。こゆ財団として最初に何を仕掛けようかというときに、ライチがちょうど収穫時期を迎えるというので調べてみると、宮崎のライチはほとんど新富町で生産されていて。どこに何が埋まっているか、わからないですね。

高橋 これがなければ、こゆ財団の未来はまったく違うものになっていたと思います。

岡本 何より一年でここまでできたのは、潤一くんがこゆ財団に参画してくれたからというのも大きい。彼が世界を飛び回って培ってきた経験や力を、僕らの町のために使えるというのは幸せなことですね。