自衛隊から芸人へ。「人と違うことをしないと見つけてもらえない」オノダ純情が選んだ道 - 地域商社こゆ財団|宮崎県新富町

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自衛隊から芸人へ。「人と違うことをしないと見つけてもらえない」オノダ純情が選んだ道

自衛隊から芸人へ。「人と違うことをしないと見つけてもらえない」オノダ純情が選んだ道

2026年8月、新富町の地域おこし協力隊としてMIRISEプロジェクトに加わった、小野寺洋人さん。「オノダ純情」の芸名でお笑い芸人として活動しています。

岩手県で生まれ育ち、高校卒業後は航空自衛隊へ。約15年間自衛官として勤務した後、33歳で退職してお笑いの世界へ飛び込んだという異色の経歴の持ち主です。

芸人を目指して上京してから、わずか1年。次の活動拠点として選んだのは、東京ではなく宮崎県新富町でした。

自衛隊からお笑いへと進んだ理由、新富町に移住するまでの葛藤、そして地域で活動する中で見えてきた「芸人としてのこれから」について。こゆ財団で広報をはじめて5か月の私・酒井優里がインタビューしました!

なんとなく大学へ行くはずが、航空自衛隊へ

▲自衛隊時代のオノダさん(真ん中)

――オノダさんの出身はどちらなんですか。

岩手県出身です。18歳、高校卒業まで岩手にいました。

――高校卒業後は航空自衛隊に入隊されたんですよね。もともと自衛官を目指していたんですか?

いや、かなり軽い気持ちでした(笑)。

高校3年生までは、なんとなく大学に進学するんだろうなと思っていたんです。でも、進学するなら国公立と言われていて、僕は数学がすごく苦手だったので「これは厳しいな」と。

そんな時、自衛隊の広報官の方が家に来たんです。当時は自衛隊の方が直接家を回って募集活動をしていて、「自衛隊なら資格も取れるし、任期を終えればお金も出る。就職先の支援もあるよ」といろいろ教えてくれて。

「じゃあ大学に行かなくてもいいじゃん」と思って入りました。本当に軽い気持ちでしたね(笑)。

――そこから約15年間続けたのはすごいですね。

最初は全然馴染めなかったです。男子校のものすごく厳しいノリ、みたいな環境で。

それでも続けていくうちに階級も上がって、何度か辞めようと思った時も周囲に引き止めてもらいました。

僕自身、決められたルールの中できっちり働く公務員という仕事はあまり向いていないな、と途中から感じていました。でも、自衛隊では本当に人に恵まれましたし、いろいろなことを教えてもらいました。そこはすごく感謝しています。

――自衛隊では、どんな場所で勤務されたんですか?

最初の3か月は埼玉県の熊谷基地で基礎訓練を受けました。その後、静岡県の浜松で半年ほどレーダーについて勉強して、石川県の小松基地で10年くらい勤務しました。

その後、茨城県に転勤して、移動管制隊というところに入りました。

茨城を拠点にしながら、レーダーを車で全国各地へ運んで組み立てる仕事です。それまでとは全然違う仕事で、すごく楽しかったですね。

その仕事で福岡に行くこともあって。九州はご飯がおいしいし、人もいい。それに僕、東北出身なのに寒いのが嫌いなんですよ(笑)。

それで、九州っていいなと思うようになりました。

30歳を過ぎて初めて、「お笑いをやりたい」と思った

▲自衛隊時代のオノダさん(右)

――お笑いに興味を持ったのはいつ頃だったんでしょう?

茨城にいた時です。

それまでは本当に、お笑いをやりたいと思ったことは一度もありませんでした。今思えば、20代半ばくらいまではあまり「自分はこれがやりたい」というものがなかったんですよね。

30歳くらいになってから、やりたいことが一気に出てきた感じです。

きっかけはTwitter(現在のX)でした。ちょうどコロナ禍で、インターネット上で大喜利をするサービスにハマって、オンラインで友達ができたんです。

茨城から東京なら電車で行けたので、今度は実際に人が集まって大喜利をする「生大喜利」にも行くようになりました。

素人が集まって、『IPPONグランプリ』みたいに大喜利をするんです。

それにどっぷりハマって、「お笑いって楽しいな」と思うようになりました。

――そこから、自衛隊を辞めて芸人になる決断を?

そうですね。33歳の時に退職しました。

自衛隊を辞めた後、2か月ほど実家に戻って、その年の5月から「タイタンの学校」に入りました。

33歳でお笑い養成所へ。「舞台の上なら、堂々とふざけられる」

▲大喜利大会でのオノダさんが回答を出している場面

――タイタンの学校では、どんなことを学ぶんですか?

タイタンは爆笑問題さんが所属している事務所で、「タイタンの学校」という養成所があります。

芸人コースでは演技の授業を受けたり、ネタ見せをしたりします。そこで評価されると養成所ライブに出られる、ということを繰り返していきます。

僕はアルバイトをしながら通っててごみ収集のバイトを1年間、勤め上げました。

お笑いって、本当にお金にならないんです。

養成所に通うにもお金がかかるし、ライブに出たからといって、すぐに生活できるようになるわけではありません。

だから、自衛隊時代に貯金しておいて本当によかったと思いました。

――それでも、お笑いを続けたいと思えた理由は?

ウケると、単純に気持ちいいんですよ。

僕は普段から人前でふざけるタイプではないんです。でも、舞台の上だったら堂々とふざけられる。

普通に生きていて、全力でふざけられる場面ってなかなかないじゃないですか。

舞台の上でしか発散できない何かが、自分の中にあるんだと思います。

「行っても後悔する。行かなくても後悔する」

――新富町との出会いは?

タイタンの学校には芸人コースとは別に、さまざまな文化を学ぶ「一般コース」という授業があります。

その最後の授業で、MIRISEプロデューサー・藤澤さしみさんが「ローカルビジネス」について授業をしていたんです。

授業が終わった後に話す機会があって、「僕もローカルにすごく興味があるんです」と話しました。

その頃は、芸人として事務所に所属できるかどうかも分からない時期だったので、自分自身も「何とか次につなげたい」という気持ちが強かったんだと思います。

――東京に住み始めて、わずか1年で宮崎へ。かなり大きな決断ですよね。

自分でも正気の沙汰じゃないと思います(笑)。

でも、僕も33歳を過ぎてからお笑いを始めていますし、人と同じことをしていたら見つけてもらえないな、という気持ちもありました。

何か一つ、ほかの人がやらないようなことをしなきゃいけない。

新富町に行くことは、そのチャンスになると思ったんです。

――新富町へ行くことに迷いはありませんでしたか?

めちゃくちゃ迷いました。

僕は環境が変わるのが苦手なので、引っ越しする前日まで「嫌だな」って思っていました(笑)。

でも結局、「行っても後悔するし、行かなくても後悔するな」と思ったんです。

それに、地域おこし協力隊という制度を利用して活動できるのは、芸人としてすごくありがたい環境です。

東京で芸人をやっていた時は、お笑いだけでは生活できないのでアルバイトが必要でした。

新富町では、生活を成り立たせながら芸人として挑戦できる。

何かに挑戦するためには、生活するためのお金も必要です。そこは絶対に無視できないと思っています。

だから今は、東京で活動している芸人にも「地域で活動する」という選択肢があることを伝えたいですね。

地方を盛り上げるヒントが、新富町にはある

▲しんとみフェスの様子

――もともと地方への関心もあったんですか?

あります。自衛隊時代にいろいろな地域へ行った経験もあって、地方がもっと元気になってほしいという気持ちはずっとありました。

僕は東京に1年間住んでみて、「人が東京に集まりすぎじゃない?」と思ったんですよ。地方にもいいところはたくさんあるのに、どうして全部東京に集まるんだろうって。

最終的には、自分の地元を盛り上げられるようなローカルタレントになれたら最高だなと思っています。

――実際に新富町に来てみて、どんな印象を持ちましたか?

新富町に来て、その気持ちはさらに強くなりました。

僕の地元もかなり田舎なんですけど、新富町は同じように小さな町なのに、町の人たちが生き生きしているんです。

ダンスチームがあったり、イベントがあったり、子どもたちがいろいろな文化に触れる機会があったりして、「どうやったらこういう町になるんだろう」と本当に不思議なくらいです。

――新富町での経験を、今後どう生かしていきたいですか?

いつか自分の地元も盛り上げたいと思っているので、そのためのヒントが新富町には絶対にあると思っています。

地域に飛び込むことで、芸人として鍛えられる

▲しんとみ学び塾でMIRISEが中学生向けにワークショップを開催した時の様子

――新富町では、どんな活動をしていますか?

イベントに参加したり、中高生向けのワークショップに関わったり、地域の方と交流したり、本当にいろいろです。

中高生向けの「学び塾」では、粘土で2,000年後の新富町を作って、その後に演劇をするというワークショップをしました。

最初は「これ本当に形になるのかな」と思ったんですけど(笑)、中学生のみんなが全力で参加してくれて、ちゃんと形になった。

子どもたちって、こちらが全力でぶつかると、全力で返してくれるんですよ。

芸人という存在自体を面白がってくれることもあって、「これが芸人か」みたいな感じで(笑)。

そういう反応もすごくやりがいがあります。

――東京で芸人をしていた時とは、違う経験ができていますか?

全然違いますね。

東京では基本的に「お笑いを見に来た人」の前でネタをします。

でも新富町では、必ずしもお笑いを見るつもりで来ている人ばかりじゃない。

「芸人ってのがいるからみたいだから見てみよう」という人もいる。

そういう人たちを笑わせるのは、正直怖いです。

でも、その環境でどうやったら笑ってもらえるかを考えることは、芸人としてすごく勉強になります。

お笑いライブ以外の場でも、芸人としての力を鍛えられていると思います。

地域活動が楽しい。でも、やっぱり「お笑いをやらなきゃ」

▲しんとみフェスの様子

――地域での活動もかなり楽しんでいるようですね。

めちゃくちゃ楽しいです(笑)。

イベントに出たり、地域の人と話したりしているだけでも楽しくて、一時期はそれだけで満足しそうになっていました。

でも、「俺がやりたいのは、それだけじゃないな」って。

やっぱり、お笑いをやらなきゃ駄目だと思っています。

最近はMIRISEのメンバーとコンビでネタをする機会もあって、それが少しウケたんです。

逆にそれで、「もっとちゃんとお笑いをやろう」と思えるようになりました。

地域活動も続けながら、ネタもきちんと磨いていきたいです。

――これからどんな活動をしていきたいですか?

まずは、ちゃんと売れたいです(笑)。

宮崎でテレビに出られた時も、本当にうれしかったんですよ。ちょっと泣きそうになるくらい。

でも、東京でもお笑いをやりたいという気持ちはあります。

タイタンの学校とMIRISEにはつながりがあるので、ここで実績をつくって、東京のライブにも呼んでもらえるようになりたい。

活動拠点は宮崎に置きながら、東京でもお笑いをする。

そんな2拠点での活動ができたら理想ですね。

それから、地域の人との交流そのものもコンテンツにしたいです。

農家さんの仕事を手伝ったり、漁に行ったり、地域で経験したことを動画にして、面白く届ける。

「お笑い」と「ローカル」を組み合わせた発信も、これからやっていきたいと思っています。

新富町で地域の人たちと関わりながら、自分自身も芸人として成長する。

ここをスタート地点にして、もっといろいろな場所へ飛び出していきたいですね。

* * *

地域での活動を楽しみながらも、「お笑いをやりたい」という軸を持ち続けるオノダさん。新富町を拠点に、芸人・オノダ純情としてどんな活動を広げていくのか、今後も楽しみです。

私自身、新富町のことを知ってまだ数ヶ月。まだまだ知らないこともたくさんありますが、「新富町には地域を盛り上げるヒントがある」というオノダさんの言葉には、とても共感しました。

お笑いを軸に、地域の人と関わりながら、その土地ならではの出来事や魅力を発信していく。そんなオノダさんとともに、私自身も新富町の魅力をもっと知り、一緒に盛り上げていけたらと思います。


取材・執筆/酒井優里