「知らない世界を、ちゃんと知りたい」映像とともに歩んできた小圷夏美さんが、新富町で描くこれから
2026年9月、MIRISEプロジェクトの地域おこし協力隊として新富町にやってきた、小圷夏美さん。
埼玉県で生まれ育ち、大学では国際問題を学び、卒業後は映像制作会社へ。ドキュメンタリー番組の制作に約5年半携わった後、長年抱いていた「海外で暮らしてみたい」という思いを叶えるため、ワーキングホリデー制度を利用しカナダへ渡りました。
カナダで生活する中、偶然見つけたのが、メキシコで行われるドキュメンタリー制作のワークショップ。現地で海外のメンバーとともに作品づくりに取り組みました。帰国後、改めてこれからの働き方を考える中で見つけたのが、新富町で始まったMIRISEプロジェクトでした。
映像制作を目指すきっかけとなった高校時代の出来事から、海外での経験、そして新富町でつくっていきたいものまで、こゆ財団で広報を担当する酒井優里が伺いました。
「思っていた世界と違う」。高校生の時に見た一本の映像

――映像の仕事に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか。
進路について考え始めた高校1年生の頃、当時シリアで紛争が起きていました。最初は、私にとってすごく遠い世界の話でした。「中東は怖い場所」「戦争が起きていて、そこに暮らしている人たちはきっと悲しい顔をしているんだろう」というくらいのイメージしか持っていなかったんです。
そんな時、シリアを取材していたジャーナリストの山本美香さんが亡くなったというニュースを見ました。
その中で、亡くなる前に山本さんが現地で撮影した映像が流れていて。ある家庭を訪ねると、男性が小さな娘さんを抱いて、笑顔で玄関に出てきたんです。
それを見た時に、「思っていたのと違う」と驚きました。
悲惨な状況の中にいても、人は笑うんだって。当たり前のことかもしれないけれど、当時の私にはすごく大きな発見でした。
自分は何も知らないんだなと思ったし、知らないことをもっと知りたいと思うようになりました。
――それが大学の進路にもつながったのでしょうか。
はい。映像を見たことがきっかけで、特に中東や国際問題について知りたいと思うようになり、大学では国際関係について学べる学部を選びました。
高校生の時に大学教授の体験授業を受ける機会があって、その先生が公衆衛生を専門にしながら、シリアなど海外でも活動していたんです。
「この先生のもとで学びたい」と思って、大学もゼミも決めました。
国際問題を学ぶ中で感じた「理想」と「現実」

――大学では実際に海外へ行く機会もあったそうですね。
ゼミの校外実習でヨルダンへ行き、シリアから避難してきた方々のお宅を訪問しました。
一軒一軒を回って、「今どんなことに困っていますか」と話を聞き、調査結果を報告書にまとめる活動です。
ほかにも、日本に来るシリアの方々と、日本で受け入れる側の人たちがお互いを知るためのパンフレットをつくる活動もしていました。
――そうした活動を経験する中で、将来についての考え方にも変化はありましたか。
大学に入った頃は、将来は国際的な仕事をしたいという思いが強かったです。
ただ、活動を重ねる中で、学生なりに一生懸命つくったものでも、発表する場所が見つからなかったり、公的な機関の事情で思うように届けられなかったりする経験もしました。
自分の力不足もあったと思います。でもそこで、「いいものをつくれば、そのまま届くわけではないんだ」と知りました。
社会にはいろいろな立場や仕組みがあって、それまで思い描いていた理想だけでは進まないこともあるんだなと。
そうした経験を通して、大学に入った頃に考えていた国際的な仕事への向き合い方も、少しずつ変わっていきました。
「まちの魅力は、伝わっていないだけかもしれない」
――そこから映像制作会社に就職するまでには、どんな経緯があったのでしょうか。
就職活動を始めた頃は、まちづくりに興味がありました。
青年海外協力隊にも興味があって、「コミュニティ開発」という分野があることを知り、地域や暮らしをつくることについて勉強したいと思っていました。
それで最初は住宅や都市開発に関わる企業を見ていたんです。
でも説明会に行くと、私が考えていた「開発」と、企業が言う「開発」が違うことに気づきました。
うまく説明はできないんですけど、すでに便利な場所をさらに便利にしたり、価値を高めたりすることよりも、私はもっと違う部分に興味があるんだなと感じて、一度就職活動を止めたんです。
――そこから「伝える仕事」に目が向いたんですね。
就職活動に悩んでいた頃、佐賀県でまちづくりに関するインターンに参加しました。
実際に地域を歩いてみると、魅力的なお店も、人も、場所もたくさんあったんです。
その時に、「魅力がないんじゃなくて、知られていないだけなんじゃないか」と感じました。
まちそのものを大きく変えなくても、その魅力をちゃんと伝えることで変わることがあるかもしれない。
そこから、メディアの「伝える仕事」に興味を持つようになりました。
考えてみれば、高校生の時に自分の価値観を変えたのも一本の映像でした。
自分が映像をつくる側になるなんて、それまでは考えたこともなかったんですけど、振り返ると原点に戻ってきたような感覚がありました。
約5年半のドキュメンタリー制作現場を経験。「これから」という時に退職、海外へ暮らす

――新卒で入った映像制作会社では、どのような仕事をしていたのでしょうか。
ドキュメンタリー番組を制作する会社で、約5年半働きました。最初はアシスタントディレクターとして入り、その後は企画や取材、演出なども担当するようになりました。
2年目頃にコロナ禍になり、十分に現場経験を積む前からリモート取材に対応するなど、イレギュラーな時期でもありました。それでも少しずつ自分の企画が通るようになり、ディレクターとして仕事を任せてもらえるようになっていきました。
また、1年間ほどNHKのデジタル部門に携わり、放送された番組をウェブ記事やSNS用のショート動画に展開する仕事も経験しました。
テレビ番組とは違い、SNSでは反応がすぐに返ってくるので、「こうやって人に届くんだ」と実感できたことが面白かったです。映像だけでなく、文字で伝えることの面白さもそこで知りました。

――仕事が充実してきた中で、なぜ退職して海外へ行こうと思ったのでしょうか。
ずっと「一度は海外で生活してみたい」という思いがありました。大学時代に留学できなかったことへの未練もあり、海外取材を経験する中で「もっと英語ができたら」と感じることも増えていました。
ワーキング・ホリデーには年齢制限もあるので、番組制作を続けるか、海外で暮らすかを考えた末、会社を辞めてカナダへ行くことにしました。
――実際に海外で暮らしてみて、どうでしたか。
カナダでは約1年間生活しました。最初は現地のお弁当屋さんで働き、まずは「海外で暮らしてみること」自体を経験しました。
その中で改めて、「私はこの先どうしたいんだろう」と考えるようになり、やっぱりディレクターをやりたいという気持ちが残っていることに気づきました。
その後、Instagramで見つけたメキシコのドキュメンタリー制作プログラムに参加し、4人1チームで一本の作品を制作しました。
ただ、本当に大変でした(笑)。
日本で5年半映像制作に携わっていたので、作品づくりの手順や「こうしたい」というイメージは自分の中にありました。でも、それを英語でメンバーにうまく伝えられず、自分が持っているはずのスキルを発揮できないことが、すごくもどかしかったです。
その時は「もう二度とやりたくない」と思うくらいしんどかったんですが、振り返ってみると、インタビューをしたり、編集のアイデアや構成を考えたりする時間は楽しかったんですよね。
そこで改めて、「やっぱり私は映像をつくることが好きなんだ」と気づきました。

「東京だけじゃない場所で映像をつくりたい」
――帰国後は、再び映像制作の仕事をされたのでしょうか。
帰国後に一本、フリーランスとして番組制作の仕事をしました。
映像をつくる仕事はやっぱり面白かったんですが、その一方で、東京で働き続けることへの違和感もありました。
カナダで生活していた時、大都市ではありましたが、東京ほど人が多くなくて、その環境がすごく楽だったんです。
帰国して久しぶりに満員電車に乗った時に、「これをずっと続けるのかな」と思ってしまって。
私は関東でしか暮らしたことがなかったので、日本の地方のことも全然知らない。それなら、一度地方で暮らしながら映像をつくってみたいと思いました。
――そこから、地方で映像制作ができる仕事を探し始めたんですね。
はい。「地方」「映像制作」「ドキュメンタリー」といった条件で仕事を探したんですが、なかなか見つからなくて。
地方のテレビ局で働きたいわけでもなかったんです。
5年ほど経験があるので、「フリーランスになればいいんじゃない?」と言われることもありました。
でも自分では、まだ技術的にも、人とのつながりの面でも、完全に一人でやっていける段階ではないと思っていました。
そんな時、地域おこし協力隊について調べる中で紹介してもらった求人サイトで見つけたのが、MIRISEプロジェクトでした。
PRではなく、その土地で暮らす人の姿を伝えたい

――MIRISEの募集に惹かれたのは、どんな部分だったのでしょうか。
映像制作の求人を見ていると、どうしてもPR動画の制作が多かったんです。もちろんPRも大事なんですが、「私はPR映像だけをつくりたいわけじゃないな」という感覚がありました。
MIRISEは、話を聞く中で「あなたは何をやりたいんですか」と、私自身のやりたいことをすごく聞いてくれたんです。決められたものをつくるだけではなく、これから一緒につくっていける余白があるように感じました。
映像だけではなく、これまで経験したウェブ記事やデジタルコンテンツなども含めて、自分の経験を生かせると思いました。いろいろな条件が重なって、今の自分がやりたいことに一番近かったのがMIRISEでした。

――これから新富町で、どんなものをつくっていきたいですか。
そのまちにどんな人がいて、どんな暮らしをしていて、どんな土地なのか。そういうことが伝わるものをつくっていきたいです。
その場所で生活している人の姿を、映像や文章を通してちゃんと伝えたいと思っています。
また、海外で活動したいという思いも残っています。日本人だからこそ見えるものや、つくれる映像もあると思うので、いつか日本の地域を海外に向けて伝えたり、自分の作品を海外の映画祭などで上映できたらいいなと思っています。
まだ「こうなりたい」と明確に決まっているわけではありません。だからこそ、新富町で人と関わりながら、自分のこれからも見つけていけたらと思っています。
* * *
お話を伺う中で印象的だったのは、小圷さんの「リアルを伝えたい」という思いの強さです。フィクションではなく、実際にそこにいる人や、その土地で起きていることに目を向け、ドキュメンタリーという形で伝えていく。その姿勢は、高校時代にシリアの映像を見た経験から、これまでずっとつながっているように感じました。
また、海外で活動したいという思いを持ちながらも、「日本人だからこそできることは何か」と自分の立場を捉えているところも、小圷さんの強みだと思います。そして、興味を持つだけで終わらず、カナダでの生活やメキシコでのドキュメンタリー制作など、実際に行動へ移してきたことも、小圷さんらしさの一つだと感じます。
インタビュー中も、これまでの経験や映像制作についてとても楽しそうに話してくださり、仕事への熱意が伝わってきました。これから新富町でどんな人や風景に出会い、それを小圷さんならではの視点でどう伝えていくのか、今後の活動が楽しみです。

取材・執筆/酒井優里
