外側と内側から地域を見る。役場と地域商社をつなぐ行政マン:有馬 義人さん

宮崎県新富町で、2017年4月にスピードまち経営を目的に新富町役場の観光協会が独立して設立された「一般社団法人こゆ地域づくり推進機構(略称:こゆ財団)」。

地域おこし協力隊の制度を利用し、10年100社1000人の雇用を生むことを目標に活動を続けているが、
「行政の寛容さがなければ、こゆ財団の活動は実現できなかった」と、こゆ財団代表理事の齋藤潤一は話す。
新富町役場の協力なくしては、今の姿はないということである。

新富町役場で働く方々はどんなことを考え、どんなチャレンジをしているのか。
新富町役場の総合政策課 企画政策グループ課長補佐である、有馬義人さんに話を伺った。

日本遺産認定に向けた取り組み

—有馬さんは役場でどのような業務を行なっているのですか?

有馬:平成30年8月から現在の課(総合政策課)に異動し、町の企画調整を行っています。こゆ財団に関する財源や、役場・外部機関との調整も担当しています。

—それ以前は何をされていたのですか?

有馬:生涯学習課という部署で社会教育や文化振興の業務を担当し、その一環として、新田原古墳群の日本遺産登録に向けた事務も担当しました。平成30年5月には無事「古代人のモニュメントー大地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観ー」として日本遺産に認定されました。

3市町の共通ストーリーを描く

—当時、どのような苦労がありましたか?

有馬:行政の枠を超えた業務であることが工夫を要することでした。
今回の日本遺産認定には、宮崎市、西都市、新富町と3つの市町が一緒になってプロジェクトを進めた上で、日本全国に発信できるストーリーを描き、将来的にはDMO的な観光をメインとした取組みになるように仕掛けをつくる必要があるとされています。

—なるほど。3市町の古墳群のほかにはない特徴とはどんなものでしょう。

有馬:やはり、古代の景観が良い状態で残されていることです。
全国には、有名な古墳や大規模な古墳群が多数ありますが、宮崎県の古墳は日常に溶け込みながらも景観を良好に残しています。3つの古墳群を巡ることで、古墳時代300年の歴史を体感することができるという点が最も評価されているところです。

客観性と主体性を持って地域を見直す

—日本遺産認定で注目されている新富町ですが、今後の課題はありますか?

有馬:そうですね。
私自身は、鹿児島県鹿屋市の出身で、現在は宮崎市の西隣にある国富町で生活をしています。

新富町役場で新富町のことに深く関わるので一番詳しいのは新富町ですが、新富町の外側と内側から2つの視点を持てると思っています。

まず、外から見た「新富町」は、町のみなさんが寛容で、外から人を受け入れることに抵抗がないと感じますし、さまざまな環境が他の市町村に比べると充実していると思います。

一方、内から見る「新富町」は、他の市町村と同様に、少子高齢化や都市化が進むことにより、自分たちの地域を自分たちで守り伝えるという意識が、年々薄れているような気がします。

高齢化が進み、若い方の協力もより必要になってきています。人とのつながりを大切にして、1人1人が自分たちの住むまちを自分たちで持続させるという意識を強めていきたいですね。

チャレンジャーを受け入れやすいまちづくり

—そのような課題を解決するために有馬さんがやりたいこととは?

有馬:今、こゆ財団が農業や民泊、人材育成など、様々なことに取り組もうとしています。
新富町は農業で発展したまちなので、もともと農業の基盤はできていたのですが、もっとビジネスとして考えた農業を広めていきたいという人が集まりつつあるようです。

そんな中で私たちができることは、受け入れ体制を整えること。
現状、まだまだできていないと思うので、いろんな人がいろんな方面でチャレンジしやすいまちになるといいと思います。

そのような自立した考えを持つ人たちが集まることで、町全体にきっと大きな影響を与えてくれると思います。外の意見も取り入れながら、高いレベルで物事を見て進めていきたいですね。

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行政である以上、スピードという点では思うような身動きが取れない。
だが、新富町にはこゆ財団という中間支援団体がある。

カチッとした行政と、これからチャレンジした新しいビジネスモデルをつなげる地域商社こゆ財団。

その陰には、「本気でまちを元気にしたい」、「もっと良くしたい」という公務員の尽力と寛容さがあった。

         
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