岡山県出身で、小学3年生からは神奈川県横浜市で生活していた竹内 庸公(たけうち やすひろ)さん。2019年9月より新富町の地域おこし協力隊として移住しました。
学習塾の講師として働いていた竹内さんが、新富町の地域おこし協力隊にエントリーした経緯や今後の展開などを伺いました。
子どもたちの純粋さが地域の魅力
—宮崎県には何度か来たことがあるのですか?
竹内:地域おこし協力隊になるまでに3回来たことがあります。
初めて来たのは2018年11月。その時は新富町の「こゆ朝市」に参加したり、町を観光したりした程度でした。
その時は、自分が移住するとは正直考えていなかったですね。
—それがなぜ移住しようと思ったのですか?
竹内:「こゆ朝市」で見た子どもたちに魅力を感じたのがきっかけです。すごく純粋で、元気に遊びまわっている光景は、都心であまり見ることがありませんでした。
それを見ている両親は怒るわけでもなく、当たり前のようにしていますし、地域全体が寛容だなという印象を持ちました。
そんな純粋に育った子どもたちと関わることをしたいなと漠然と考えていた時、こゆ財団で地域教育に関する取り組みを強化していくという話を聞き、私もそれに関わりたいと思って移住を決断しました。
実践型インターンで触れ合った子どもたち
—地域教育に魅力を感じるようになったきっかけは何ですか?
竹内:2016年から1年間、実践型インターンとして滞在した島根県雲南市での経験が大きいと思います。
そこでは、学習塾の講師としてのスキルを活かして、不登校支援や土曜日学習、中学生の放課後学習や雲南市の高校生への授業などさまざまな関わりをさせていただきました。
そこで出会った子どもたちと触れ合う中で、将来このようなことを仕事にできたら素晴らしいと思ったのです。
教えるのではなく自ら学ぶ塾の設立
—地域おこし協力隊として、地域教育に関わっていくのですか?
竹内:まだ構想段階ではありますが、「公営塾」をやっていきたいと考えています。
—公営塾とは具体的に何をするところですか?
竹内:正直、塾の講師として子どもたちに問題と解答を与えるだけの教育には限界を感じていました。もっと子どもたちが自ら学ぼうとする環境が必要。
新富町には高校がありません。当然、中学3年生の子どもたちは卒業後に町外へ行くことになります。そんな時に、新富町で学んだことが記憶に強く残り、そこから郷土愛が生まれてくれるといいなと思っています。
教えるのではなく、子どもたちがやりたいことをやりたいようにできる環境を整えることが私のやりたいことの1つです。
普通の学校教育では習得できない考え方や、モノの見方などを養ってもらいたいです。
子どもたちにとっても世界一チャレンジしやすいまち
—教える指導ではなく、自ら問いを持ち考え、実践する塾なのですね。現在はどのような取り組みをしているのですか?
竹内:現在行われているプログラミング教室に参加し、子どもたちの様子を見ながら今後の展開を考えています。
子どもたちにあった新富町の地域教育モデルを作るためには、もっと子どもたちとコミュニケーションをとっていかなければ。
—移住して改めて、新富町の子どもたちにどのような印象をお持ちですか?
竹内:最初に思っていた通り、純粋な子が多いですね。
あとは、あいさつがすごい。知らない人に少し困惑した様子でもあいさつするんです。これってすごいことだと思います。
その純粋さを忘れずに、子どもたちにとっても世界一チャレンジしやすい町というものを、教育の場から作っていくことが私のミッションです。