新富町は「チャレンジする人を笑わない」
溶け込みやすい土壌があるまち
都市部から少子高齢化が進む地域へ移住し、地域おこし支援や農林水産業への従事などの活動を行いながら、その地域への定住・定着を図る「地域おこし協力隊」。総務省は2026年度までに隊員数を1万人に増やすことを目標としており、今後も地域おこし協力隊の活動がさらなる盛り上がりを見せていくと予想されます。
今回お話を伺ったのは、2023年3月をもって宮崎県新富町の地域おこし協力隊を卒業される、中山雄太さんです。中山さんは趣味だった映像制作を仕事にしようと、2019年8月から協力隊としての活動を開始。
インタビューでは「これからもずっと新富町に住み続けたい」と話す一方、「実は宮崎人にマイナスのイメージを持っていた」という意外な過去も教えてくださいました。そのイメージを変えたものとは一体何だったのでしょうか。新富町との出会いやこれまでの活動内容、今後の展望など、さまざまなお話を伺ってきました。
最大の魅力は“人”、チャンスをくれた新富町
━━地域おこし協力隊の制度を知ったのはいつでしたか?
大学で他学部の「地方創生」に関する授業を受けていたときに、地域を盛り上げようとする動きや地域おこし協力隊という制度があることを知りました。でも、頭の片隅にあったくらいで、まさか自分がなるとは思ってもいませんでした。
━━それから新富町とどのように出会ったのですか?
大学4年生のときに留年することになったのですが、次の1年間はほとんど授業に行かなくてよかったんです。「このままバイト生活を続けてもいいけど、それではつまらないな」「若いときの1年は大事だから手に職をつけたい」と思いました。
そこでずっと趣味だった映像制作を仕事にできないかと考えました。でも、スキルゼロの僕がいきなり民間企業に入るのは難しいですよね。地域おこし協力隊の制度を知っていたので、「動画クリエイターを募集している自治体はないかな」とネットで検索したところ、二つの町がヒットしました。そのうちの一つが新富町だったんです。
両方の町に足を運んで面接を受けましたが、もう一つの町は未経験ということもあり相手にしてもらえませんでした。でも、新富町は違いました。地域おこし協力隊の活動支援をしていたこゆ財団が「1回映像を作ってみる?」とチャンスをくれたんです。
それが認められて、最初は協力隊としてではなく、こゆ財団からの業務委託という形で写真や動画を撮影させてもらうことになりました。結局留年した1年間はこゆ財団で過ごしたというのが新富町との出会いです。もともと新富町はまったく知らない町でしたし、むしろ宮崎人にはマイナスのイメージを持っていたんですよね。
━━そうだったんですね!それはなぜですか?
僕は大学で野球部のキャプテンをしていたのですが、注意するのがいつも宮崎出身の部員たちだったんですよ。時間を守らないし、試合中にずっと話していたりスパイクを脱ぎだしたりするし、宮崎人のマイペースぶりには手を焼かされました。仲は良いんですけど、「宮崎人って変わっているな」と思っていたんです。
━━そうしたイメージを変えた新富町の最大の魅力は何だと思いますか?
やはり“人”ですね。新富町の方は僕のように「地域に溶け込んでいきたい」と思っている人をよそ者扱いせず、「よろしくね」と受け入れてくれます。チャレンジする人を笑わない気風がありますね。
こゆ財団や役場の方たちがそうした土壌を作ってくれていたんだと思います。「ちゃんと稼がんといかんね」「新しい商品をブランディングして売り出していこうか」という町民の方が増えてきているのは、少なからずこゆ財団が設立された影響があると思うんですよね。そういった土壌があったことと、もともと人見知りをしない自分の性格が相まって、とても入っていきやすかったです。
“何者でもない状態”からカメラマンへ
━━実際に協力隊になってみて大変だったことはありますか?
僕自身が“何者でもない状態”で移住したので、最初の頃は「『何ができる人なんだろう』と役場の方を困らせているんじゃないか」「早く成長しなきゃ」という焦りがありましたね。
町の人にも覚えてもらおうと飲み会にはたくさん顔を出しました。それが功を奏して途中からは「マーシー!」と愛称で呼んでもらえたり、撮影にも快く協力してくれたりするようになりましたね。
━━活動を通して得られたものは何ですか?
新富町には漬物屋さんや醤油屋さん、農家さんなど、さまざまな方がいらっしゃいます。町内のいろいろな場所で撮影をしながらお話を聞いたことで、「こんな世界があるんだ」と知見が広がりました。
それから、以前は写真も下手だったので、「今日も緊張するな」「カメラマンとしてちゃんとやっていけるのかな」といった不安ばかりでした。でも、たくさんの場数を踏ませてもらって、自信が持てるようになりました。今はどんな現場でも焦ることはありません。カメラマンとしてのいろいろな力も身に付いたと思います。
ゆっくりとした時間の流れの中で人生を進めたい
━━地域おこし協力隊という制度そのものの良いところは何だと思いますか?
僕が経験したフリーミッション型で言うと、3年間という猶予の中で事業を作っていけるので、「これで稼いでいきたい」と思えるものが見つかると思います。そもそもチャレンジをしながら給料をもらえるという制度は非常にありがたいですよね。
ただし、協力隊である以上は「町に何かしらを還元する」という気持ちが大切です。稼ぐことは二の次で、まずは地域の人と関係性を築いていった方が、いざ何かにチャレンジしたいときに「協力するよ」と言ってもらえて自分の強みになると思います。
━━協力隊を卒業された後の活動予定を教えてください。
引き続き地域に入って写真や映像を撮っていこうと思っています。2024年の秋には「新富」と「九州」をテーマにした写真集を出す予定です。
今までは“人”を撮るのが好きだったので、“風景”にきちんと向き合ったことがなかったんですよね。4月からは九州内の風景をどんどん撮りに行こうと決めています。来年30歳になるので、写真家としてやってきたことの集大成を残しておきたいです。
また、新富町の地域おこし協力隊・福永さんと一緒に行っているサウナ事業「Well-Being Sauna」も継続していきますし、屋外シアターも5年以内に事業化したいと考えています。
そうなると雇用が必要だなと感じていて、「一緒にやりたいです」と言ってくれる人がいないか探しているところです。やっぱり1人でやるよりもできることが広がるんですよね。好きなことをたくさん具現化していきたいです。
━━最後に、人生のビジョンを聞かせていただけますか?
移住する前は「上場企業を作るぞ!」「社会課題を解決したい!」といった野望を持っていましたが、宮崎がそうさせてくれませんでした(笑)。
稼ぐことは時間を要するし、周りの人を巻き込むし、事業を大きくすればするほどプレッシャーを感じると思うんですよ。もちろんそれを楽しめる人もいると思いますが、僕は丸くなってしまったのかもしれません。
今は「粛々と自給自足をして暮らしたいな」と思っています。人生は一度きりなので、好きな人と好きなことをしながら、生きていけるくらいのお金を稼いで、家族との時間も大切にする。「ゆっくりとした時間の流れの中で人生を進めてもいいのかな」という意識に変わりました。
宮崎の「てげてげ文化」は最高です。それくらいの精神で生きている方が心地良いんですよね。
何者でもないからこそ手に職をつけたいと考えていた中山さんと、「世界一チャレンジしやすいまち」を目標に掲げる新富町こゆ財団との出会い。地域おこし協力隊という制度が引き合わせた素敵な“ご縁”だなと感じました。
「地域おこし協力隊が気になる」「チャレンジしてみたいことがある」という方は、中山さんのように一度新富町へ足を運んでみませんか?
新富町地域おこし協力隊の詳細はこちら
取材・執筆・撮影:河野史