偶発性から生まれる学生と地域の交流ー 新富町に見る“生きたリビングラボ”のヒント ー
「大学と連携して地域を盛り上げたいけれど、何から始めればいいか分からない」
「制度を作って学生を受け入れたものの、一過性で終わってしまった」
―― 地域団体としてそんな悩みにあたった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
宮崎県新富町では、東京都市大学・坂倉研究室の学生たちとの交流が5年以上にわたって続いています。インターンなどの制度として設計された関係ではなく、両者が手探りで築いてきた「人と人」としてのフラットな出会いが、その土台になっています。
本記事では、同大学でコミュニティやリビングラボを研究されている坂倉杏介先生にインタビューを実施。学生と地域の関係がどのように生まれ、深まっているのか。新富町の事例から見える「地域と大学の関係づくりのヒント」を伺いました。

制度からではなく「顔の見える関係」から始まった交流
ーー新富町と坂倉先生との接点をご縁に、2020年から5年にわたって先生の教え子の学生たちとの交流が続いています。この取り組みの中で、学生や地域にどんな変化が生まれていると感じますか?(参考:学生レポート)
坂倉杏介先生(以下、坂倉):まず、さまざまな変化や効果が生まれているとは思いますが、どれもまったく最初に想定していたことではなく、いろんな偶然やお互いの思いみたいなものが、うまく重なり合ってきたんだというのが、正直な感想です。新富町の皆さんにとっても毎年きっと手探りだったと思いますが、今はおそらくちゃんと手応えや気づきもおありだと感じています。
だからこそ、一度交流を経験したあと、また「もう一回新富に帰りたいな」という学生が現れているように、人間として豊かな関係性が続いているなと思っています。当初からの想定なんてしきれていませんでしたし、本当にすごいなと感じます。

ーーなかでも新富町は、他の地域とは取り組みに違いが生まれているということをお聞きしました。その違いはどこから生まれているのでしょうか。
坂倉:新富町の場合は、とても個人的な、顔見知りの関係がベースとなって発展していくパターンになっています。一方で、別の地域では行政や地域団体が制度として受入体制を整えており、制度に乗って接続していく形式が多いんですよね。これはよしあしではなく、地域による純粋な違いという意味合いです。
ーーつまり、地域によってアプローチが異なるということですね。
坂倉:そうですね。だからその町にいらっしゃる人材から受入体制、どんなことが求められているのか、学生とどんなことができるのかといった点に至るまで、地域とひと括りに言ってもぜんぜん違います。同じ東京都市大学の学生でも、私のラボ(研究室)のメンバーができることとは違う。もっといえば大学や専門が違えば当然ながらできることや関心事も違うでしょう。
そこに個人的なモチベーションも加わるとすれば、そもそもいろんな関わり方があり得るものなのですよね。
新富町とのご縁は、「こんなやり方にしよう」と決めずに始まったのが特徴的でした。ふわっとした形から始まり、回を重ねながら定着していく流れになっていて、よいなあと思います。
それに学生が主体的に実施している点も面白くて、最初こそ私が同伴したんですが、以降は学生が個々に新富の皆さんと連絡を取り、現在まで交流を続けている点も興味深いですね。

学生が「役割」ではなく人として地域と出会う
ーー学生たちが主体的に動くようになっていったということですが、学生にはこの関わりの中で何が得られているのでしょうか。
坂倉:学生が地域に入るケースは、観光客として行くか、フィールドワークのように学生の立場である種の研究者という立場で行くのかが、または例えば新富と同じ時期から継続して受け入れをしていただいている島根県海士町の場合は、学生は役場のインターンシップに参加する形になっているのですが、いずれにしても何らかの役割があることが普通です。
新富町の場合は、そのような固定的な役割がいい意味で無くて、学生は新富のみなさんと個人的な関係性のなかでいろいろ相談したり、行動したりしています。なので、私もほぼ何の役にも立っていません(笑)
もちろん新富町でも最初の頃はスタディツアーという名目があり、学生や私にも一定の役割があったように思いますが、そのスタディツアーが、効率的に地域に何か有益なアイデアを提案するような内容ではなく、町民のおひとりに対して学生1人が密着するマンツーマンで過ごすような、一見すると意味不明な、じんわり関係性を育んでいくようなプログラムになっていったことも、役割ではない個人的関係が生まれてきたきっかけではあると思います。
例えば新富の住民の方の家に学生がお邪魔して、本当は農作業を手伝おうと思っていたのに、天気が悪かったので一日じゅうひたすらおしゃべりしていたみたいなことが起こると、かえってその偶然がお互いのかけがえのない共通の思い出になっていくような。
学生というと、何かを調べに来たとか、提案しに来た、学びに来たといったことが関係づくりの理由になりがちですが、新富町ではそうではない。

ーーつまり、学生たちがリアルな出会いを経験しているということですね。
坂倉:そうですね。そもそも私から作為的に「君たち、人間として出会った方がいいんだよ、面白いんだよ」みたいなことをいわれたら、学生も嫌じゃないですか。なにかコントロールされているようで。
そうじゃなくて、もちろんすべてが100%偶然というわけではないんだけれど、自分の力で得た出会いというか、肩書や属性ではない出会いを感じられるような余白が、新富町との関わりの過程にはあるんです。
そしてそれは学生からすると、新鮮でかけがえのない、尊いものに感じられるのだと思います。地域の人と学生が対等に関わりを持つ。そんなこと、私にはいくら頑張ってもできません。
ーー受け入れる地域の心構えも重要なのですね。学生たちが「受け入れてもらえている」と感じるのは、どんなメカニズムが働いているのでしょうか。
坂倉:それは自分がどんな役に立っているか、何ができるのかという機能的な面ではなく、人としての関係、尊厳をちゃんと認めてもらっているという心理の作用だと思います。
新富町はチャレンジを応援している町なので、学生がやってくると「あなたも何かチャレンジしたいんだよね」という話になりやすいところもあると思うのですが、その前にまず大前提として“人として受け入れてくれている”という大きな安心感があるのではないかと感じています。
学生が地域に入りやすいコミュニティの特徴

ーーその安心感は、学生の主体性も引き出しているように見受けられます。坂倉先生はコミュニティの研究をされていますが、新富町と学生のつながりが生み出していることは、コミュニティとして何らか特徴があるものなのでしょうか。
坂倉:そもそもコミュニティというのは、町内会のようにメンバーが決まっていてそのなかに「所属」するようなものだけではなく、人と人が何らかの目的をゆるやかに共有していたり、ある程度のバウンダリー(自分と他者の間にある心理的な境界線)があったり、仲間同士が互いをそれとなく気にかけあって応援しあったりというような多様なネットワークの全体です。
新富町は、そんなネットワークのなかでも、町内のいろいろな立場の人や地域外の多様な専門性を持っている人がつながっていて、他よりもがちょっと密になっているような場所だと思います。
坂倉:そして新富町の場合は、チャレンジする人を集めて背中を押す「こゆ財団」がいることは大きな特徴でしょう。しかも本来的にコミュニティというのはエクスクルーシブ(排他的)な側面もあるのですが、地域にもともとある関係性も新しくやってきた人との関係性もとても上手に両立されているように見えます。
学生からすれば、例えば地域外の人はお断り!とか、ビジネスで成果を出す!みたいな価値観だけにコミュニティが閉じていたら、とてもついていけないと思うのですよね。それが分け隔てなく、町の農家の方や茶園の方など、年齢も職業もまるで違うのだけれど、同じ水準でつながることができる。
学生にとっては、受け入れてもらえているという実感が持ちやすいのだと思います。

ーー坂倉先生の研究テーマであるリビングラボ(地域を実験の場として、市民・企業・大学・行政が一緒に新しい取り組みを試す考え方)において、新富町での経験を通じて得た新しい知見はありますか?
坂倉:「おやまちリビングラボ」(坂倉先生や研究室に在籍する学生が研究活動を行う東京都市大学近くの拠点)などを運営していると特に思うのですが、何か地域の問題を解決しようということだけを考えると、できるだけ個別のテーマに特化して専門的に突き詰めて進めていきたくなります。が、私の経験からは、長い目で見てあまり効果的ではありません。
地域にある他のいろんな要素や、地域の外の要素も含めて混ぜていくことも、新しい解決方法を見つけたり、実際の当事者や協力してくれる人につながるためにとても大切だと感じます。
人口がどんどん増加して経済も大きくなる時代は、とにかく役割や機能を細かく区切ることで効率よく事が動いたと思うんですけど、今の時代は逆で、長続きもしない。むしろいろんな思いをまるっと受け止めたり、あっちとこっちをつなげて、融通を利かせて対応していくほうがうまくいく、というようなことが多いですね。
新富町の場合、その点でこゆ財団が果たしている役割は小さくないと思います。こゆ財団は2026年で設立10年目に入られるそうですが、地域住民が関わる活動というものはさまざまな理由で継続できなくなるケースも珍しくありませんので、10年かけてちゃんとベースができ、成熟しつつあるのは素晴らしいことだと思います。

ーーつなぎ役が重要だということですね。都市と地域(地方)では何か違いがありますか?
坂倉:東京は人が多すぎて、むしろ誰にも会わない。面白いですね。地方の小さな町のほうが、お互いがお互いを認識しやすいし、「こんにちは」と声もかけやすい。
人と人が関わるきっかけは、人の数に比例するわけじゃないということですね。同じ大学にいても、専門分野が違えばまったく会わない人がいますし、「学生」と「先生」という役割も縦割りの構造を生んでしまいます。そうなるともはや分野が違う人同士がフラットに出会うようなことはまったく起こりません。意図的に関わりを設計しないと、いつも同じ人にしか会わないし、近所の人ですら出会う機会が生まれないのです。
そうした点では、東京よりも地方のほうが先端をいっているように思います。学生はそこに気づいているのかもしれません。
おわりに
坂倉先生のお話から見えてきたのは、学生との交流は必ずしも大きなプログラムや仕組みから始まる必要はないということでした。役割や肩書を越え、人として出会うこと。人が多すぎる都市部より、互いを認識しやすい地方の方が、これからの関係性構築において先端を走っているという指摘は印象的です。
新富町という実践の場で、こゆ財団が多様な要素を混ぜ合わせる役割を果たし続けることで、今後も予測不能で豊かな「偶発性」の連鎖がさらに広がっていくことが大いに期待されます。

